【「トヨタ物語」を読みました】

愛知県、岐阜県美濃地方、三重県北勢地方で主に活動をしています、定着率カイゼン講師(特定社会保険労務士、行政書士)、承認ファシリテーターの岡戸久敏です。(名古屋・西三河・知多の特定社会保険労務士 – おかど社会保険労務士事務所 (https://sr-hokado.jp))
「トヨタ物語」(野地秩嘉:著)を読みました。

たぶん、3回目だと思います。
豊田喜一郎、大野耐一
この二人が「トヨタ生産方式」の礎をつくりました。
豊田喜一郎さんは、トヨタ自動車の創業者です。
豊田式G型自動織機を発明した、豊田佐吉の長男です。
戦前、戦中、戦後の苦しい時代に、潰れそうなトヨタ自動車を必死で支え、日本製の乗用車を作ると情熱を燃やしました。
そして、日本がアメリカの大手自動車メーカーと戦えるよう、「ジャストインタイム」という考え方を編みだしました。
大野耐一さんは、豊田佐吉がG型自動織機で考え出した「自働化」(人偏の付いた自働化)と、豊田喜一郎が考え出した「ジャストインタイム」を、「トヨタ生産方式」として体系化しました。
そして、世界中のモノ作りに影響を与えました。
ところが、なぜか、豊田喜一郎さんも、大野耐一さんも、あまり知られていないのです。
愛知県のステーションAiの中にある創造館という施設には、愛知県のモノづくりに関わった方が紹介されているのですが、
豊田章一郎さん(豊田喜一郎の長男)が紹介されていて、豊田喜一郎さんや大野耐一さんは紹介されていない。
ものすごくショックでした。
確かに、豊田章一郎さんは、トヨタをグローバル企業にしましたし、経団連会長をしました。
しかし、トヨタの礎は誰が作ったのか。
豊田喜一郎、豊田利三郎、石田退三、豊田英二、、神谷正太郎、大野耐一・・・こういった方々です。
地元愛知県で、豊田喜一郎さんと大野耐一さんを、もっとアピールして世間に知ってもらわないと。
愛知県では、「カイゼン」というと、ほぼ誰もが何を言っているのか通じます。
他の地域の方でも、自動車メーカーの方、経営の勉強をされた方には通じます。
ところが、首都圏のそうではない方には、通じないのです。
この事実がわかった時は、とてもショックを受けました。
今のトヨタ自動車の姿だけを見ていては、ダメなのです。どれほどの苦難から、今のトヨタ自動車が作り上げられたのか。
だから、地元愛知県が、愛知の強みであるモノづくりを、正しく情報発信してほしいです。
これは、愛知県の仕事です。東京、大阪も、政府もしてくれません。
ところで、私はトヨタの社員でも、関係者でもありません。
ビジネススクールで知り合った方々に、熱く、豊田喜一郎さんや、トヨタ生産方式について話すので、よく「トヨタの社員さんですか?」と言われます。
理由は、・・・
トヨタが好きとしか言いようがないのです。
幼い頃から、トヨタのクルマをよく見ていましたし、これまで乗ったクルマは、すべてトヨタ。ほしいクルマは、レクサスRX。
前職で、ミライの開発主査、田中義和さんと一緒に次世代自動車のプロジェクトをやって、熱い想いに感動したこともあり、ますますトヨタ好きになっていきました。
「トヨタ物語」を読んでの感想を書こうと思っていましたが、私のトヨタへの想いになってしまいました。
トヨタ生産方式を作り上げた、大野耐一さんは、「考えること」をとても大切にしてきました。
手抜きとかをとても嫌いました。
そして、仕事は楽にやろう、楽しくやろう。
そのために、徹底的にムダを排除しようと。
ものすごく厳しい人だったと言われていますが、根本にはこんな優しさがあったことを忘れてはならないと思います。
